【HOPE社】
東京トップ、エバニュー等とならび我国の登山、キャンピング界をリードしていたメーカーです。
古い雑誌の広告、カタログからその歴史をたどってみました。
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1928年・昭和3年 飯塚徳太郎により飯塚運動具製作所として創業されます。
1948年・昭和23年10月の広告です。
この広告ではすでに「飯塚運道具製造株式会社」になっています。
「ホープ」というブランドはいつから使用されていたか定かではありませんが、この時点で『永らくホープ印・・・を製作・・』と言う記述があります。
スキーをモチーフとしたロゴマークが使われています。後年の物に比べ簡素です。
私が調べた中では、これが一番古い広告です。
1954年・昭和29年6月
当時輸入販売していた「SVEA」、ピッケル、ランタンが紹介されています。
ロゴマークが変更されています、おなじみ?のマークです。
1955年・昭和30年7月
「マナスルストーブ」が販売されます。
日本隊マナスル初登頂は1956年5月ですが、試登は数年前から行われており「飯塚」でも支援していたようです。
1956年・昭和31年7月
ストーブの広告です、マナスルストーブの丸缶に目が釘付けになりました・・・
1959年・昭和34年夏
ストーブとピッケルが紹介されています。
ピカピカに磨きこまれたピッケルは芸術品のようです。
1961年・昭和36年5月
1960年代に入りレジャーとしての登山、ハイキングが一般的?になっていくようです。
コッヘル、家型ランタンなどが紹介されています。
広告自体も近代的?になります・・紙質、印刷技術向上・・?
コッヘルに関しては昭和20年代にはすでに扱っていたようです。
1963年・昭和38年7月
ホープブランドとして忘れてならないのが「ホープマーカー」です。
スキー金具は「飯塚」のちの「ホープ社」を象徴する「誇り」なのかもしれません・・・
1966年・昭和41年5月
昭和40年頃「飯塚運道具製造株式会社」から「ホープ株式会社」となるようです。
1969年・昭和44年
本格的なレジャーブームを迎えコッヘル類も充実していきます。
広告も明るい雰囲気になりました。
1972年・昭和47年5月
「Coleman」を取り扱いするようになります。
ストーブ、ランタンをはじめ、クーラーボックス、ジャグなども扱っています。
1973年・昭和48年
「オプティマス」の輸入販売の代理店になったようです。
1950~60年代、さまざまな海外ブランドストーブが数社によって輸入販売されていました。
「SVEA」「PRIMUS」「RADIUS」「OPTIMUS」はそれぞれ別会社により輸入販売されていました。
他にも「PETROMAX」「PHOEBUS」「COLEMAN」などなど・・・・・・
1974年・昭和49年
コッヘルラインナップの一部です。
この時代のものになると今でも時々見かけますよね・・。
収納はかわいい袋になりました。
1976年・昭和51年
バックパッキングブーム真っ盛り・・
各社「フレームパック」をラインナップしていました。
1977年・昭和52年
76年モデルからコッヘルはそれまでの布袋からファスナー付きのケースにもどされます。
1979年・昭和54年
コッヘルのハンドルに樹脂が取り付けられます。
「HOPE」社製としてはおそらく最後のコッヘルじゃないかと思います。
1980年・昭和55年
ホープ社は解散してしまいます。
スキー金具部門のみ「ワールドホープ」として生き残りますがわずかな命?だったようです。
このほんの一時期「ワールドホープ」社製の「HOPEコッヘル」が販売されています。
末期のコッヘルはケースではなく収納袋だと思います。
一番上の画像は1979年・昭和54年9月の雑誌広告ですが、おそらく「HOPE」社としては最後(最後期)のものかもしれません。
この人・・一体何処へ行くんだろう・・?
広告等を元に個人的な感想を交えた大雑把な情報です、思い違いや間違いなどもあるかもしれませんが・・・
あまり『つっこまないでね』・・・・・